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上杉謙信といえば、歴史教科書にも登場する歴史上有名な戦国武将です。
とくに武田信玄と戦った川中島の戦いは、映画・ドラマ・歌などで広く知られています。
その上杉謙信が教科書から消えるという話しが出てきているそうです。
実は、上杉謙信が「謙信」という名前を使ったのは、川中島の戦いが終わった後なのです。
どういうことなのか、ちょっと見ていきましょう。
目次
川中島の合戦の際、上杉謙信は「謙信」ではなかった
謙信が信玄と川中島で戦ったのは合計5回あります。
最後の5回目の戦いは、1565年謙信が35歳の時に起りました。
しかし、謙信が「謙信」とう名前を使いだしたのは、1570年41歳からだったのです。
謙信は1578年49歳で亡くなりますから、謙信という名前を使った期間は約8年弱ということになります。
では、謙信という名前を使う前は、なんという名前を使っていたのでしょう。
改名の部分を中心に謙信の年表を簡単に紹介します。
・1530年に越後(現在の新潟県)の長尾家に生まれ、幼名は虎千代(とらちよ)。
・1543年14歳:元服(成人の儀式)し、長尾景虎(かげとら)と名乗る。
・1553年24歳:第1回川中島の合戦。
・1561年32歳:上杉家を相続して関東管領に就任、上杉政虎(まさとら)と改名。
・1561年32歳:政虎(まさとら)から輝虎(てるとら)に改名、上杉輝虎と名乗る。
・1564年35歳:第5回川中島の合戦。
・1570年41歳:法号(仏門に入った者に授けられる名前)を「謙信」と称す。
・1573年44歳:宿敵・武田信玄が死去。
・1578年49歳:関東遠征直前に脳溢血で倒れ死去。
これを見ると分かるように、川中島の合戦の際は「上杉輝虎」と名乗っていました。
ですから、史実に基づき表現すると川中島の合戦は、上杉輝虎vs武田信玄となるわけです。
教科書から消えた歴史
・聖徳太子
最近、教科書から消えそうな歴史上の人物は「聖徳太子」です。
あなたは、この旧1万円札の肖像画を誰だと教わりましたか?
ほとんどの人は聖徳太子と教わったと思います。
しかし、この人物は聖徳太子ではなく「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」なんだそうです。
1万円の肖像画にもなった、聖徳太子の名前が変わったってどういうことなのでしょ。
実は、聖徳太子というのは諡(おくりな:死後に贈られる名前)だったのです。
聖徳太子という名前が文献に登場するのは、彼の死後1世紀以上も後になってからで。
厩戸皇子(うまやどのおうじ)というのが聖徳太子の本名です。
教科書に載せる名前は本名が原則ですから、聖徳太子も厩戸皇子になったということです。
また、聖徳太子が行ったとされる数々の功績もすべて彼自身が行ったわけでもないらしく。
後世の人たちが、天皇家の威信を高めるためにいくつかの功績を厩戸皇子が行ったものとした。
そして、聖徳太子という諡をつけ、伝説を作り上げたというのが実情だと最近では言われています。
しかし、実在の厩戸皇子もかなり優秀な摂政(せっしょう:天皇に代わって政務を行なう職)だったことには変わりがないようです。
・ただの騎馬武者に変わった足利尊氏
次は人物その人ではなく、有名な肖像画の話しです。
あなたはこの肖像画の人物の名前を知っていますか?
以前は足利尊氏と教わりました。
ですが今では、この肖像画の題名は「騎馬武者像」だそうです。
いつの間にか足利尊氏から、ただの騎馬武者に変わっていました。
以前は足利尊氏だったのですが、研究が進むうち尊氏説に疑問が出てきたそうです。
一説には、高師直(こうのもろなお:足利尊氏の家来)ではないかとも言われています。
この肖像画が誰なのかはまだ結論が出てきませんが、現在の教科書では「騎馬武者像」なりました。
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・「いいくに」ではなかった鎌倉幕府
「いいくにつくろう鎌倉幕府」と言えば、1192年鎌倉幕府成立となるのは常識ですよね。
ところが、鎌倉幕府成立は1192年ではなかったそうなのです。
鎌倉幕府設立に関する源頼朝の年表を見てみましょう。
・1180年:源頼朝が鎌倉に居を構え、侍所を設置(武士支配機構の成立)
・1184年:源頼朝が公文所、問注所を設置(行政・裁判機構の成立)。
・1185年:壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼし、朝廷に守護・地頭の設置を認めさせる(文治の勅許)
・1192年:源頼朝が朝廷より征夷大将軍に任じられる(武士に対する軍事指揮権を公認される)
このような経緯から、以前は頼朝が征夷大将軍に任じられた 1192年が鎌倉幕府成立といわれていました。
ですが今では、頼朝が平家をほろぼし文治の勅許を受けた1185年が優勢になっています。
教科書でも、鎌倉幕府成立を1192年から1185年に変更されているようです。
これからは、「いいくに(1192)」ではなく「いいはこ(1185)」つくろう鎌倉幕府になるのでしょうね。
歴史は日々変わっていくもの
このように、新しい事実が発見されたり、解釈がまちがっていたり。
理由はいろいろですが、研究が進むことで教科書の内容は変わっていきます。
あなたが思っている歴史は、もしかすると間違っていて近い将来変わっているかもしれません。
歴史を学ぶことで将来に役立てるのならば、歴史の事実を知る必要があるでしょう。
歴史には色々な解釈があって、その解釈により対立することもあります。
ですが、研究が進むことで正しい歴史が解明されることは素晴らしいことですね。
意見・感想・要望・意見などがありましたら、コメントして頂ければありがたいです。
では、また次回をお楽しみに。
参考文献:Wikipedia・上杉謙信年表・Vous et conversation
画像引用:Wikipedia