スポンサーリンク
豊臣秀吉から「鎮西一の武将」、加藤清正から「日本軍第一の勇将」といわれた、立花宗茂(たちばな むねしげ)。
(立花宗茂)
その立花宗茂が、2022年の大河ドラマの主人公になるという噂があります。
宗茂は柳川藩(現:福岡県柳川市)の藩主だった人で、2022年は宗茂が柳川藩の2度目の藩主になって、約400年だそうです
その400年を記念して柳川市が、立花宗茂と妻・誾千代(ぎんちよ)を主役にNHK大河ドラマの招致を目指しているそうなのです。
そんなところから 2022年の大河ドラマの主役が立花宗茂だという噂が立ったのかもしれません。
ということで今回は、立花宗茂が大河ドラマの主役になれるほどの人物なのか調べてみました。
目次
まずは立花宗茂の略歴から
・1567年8月19日:
武将・高橋紹運(たかはし じょううん)の長男として岩屋城(現:福岡県太宰府市)に生まれる。
(高橋紹運)
・1581年(15歳):
武将・立花道雪(たちばな どうせつ)に請われ、道雪の娘・誾千代(ぎんちよ)と結婚し、立花家に婿入りする。
(立花道雪)
・1586年(20歳):
島津氏との戦いで武功をあげ、秀吉より柳川(現:福岡県柳川市)に13万2千石を与えられる。
・1600年(34歳):
関ヶ原の戦いでは、石田三成率いる西軍で参戦したため、立花家は改易、所領を没収され、宗茂は浪人となる。
・1606年(40歳):
1604年に徳川氏により取り立てられ、2代将軍・秀忠の側近となっていた宗茂は、陸奥国棚倉(現:福島県東白川郡)で1万石を与えられ大名に返り咲く。
・1620年(54歳):
徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂の陣とその後の活躍により、旧領の柳川藩10万9千石を与えられる。
・1642年(76歳):
柳川藩の藩主となったのち島原の乱などに参戦し「武神再来」などと賞賛されたが、家督をゆずって剃髪し江戸の柳川藩邸で死去。
さすがに武勇がいっぱい立花宗茂の逸話
◆20倍の敵から城を守り抜いた島津氏との戦い
1586年に九州制覇をもくろんでいた薩摩(現:福鹿児島県)の島津氏が、宗茂が守る筑前(現:福岡県福岡市)の立花城に攻め込んできます。
(立花山城跡)
約4万の兵力で攻め込んでくる島津軍に対し、立花城を守る弱冠20歳の宗茂側の兵力は2千でした。
宗茂は豊臣方の援軍が来るまで城を守り抜き、その後の島津側との戦いが、宗茂伝説の始まりとなりました。
この一連の戦いで宗茂の実父・高橋紹運が、宗茂が生まれた岩屋城戦死しています。
(岩屋城跡)
◆宗茂は加藤清正と小西行長の命の恩人
(加藤清正)
朝鮮の役で宗重は、窮地に陥っていた加藤清正軍を、千人の手勢をひきいて救援に駆けつけ救出したと伝えられています。
また、秀吉の死により日本軍が撤兵する中、先に進み過ぎていた小西行長軍が取り残されました。
軍議で行長軍を見捨てて帰国しようと決まりかけた時、一人宗重が異議を唱えます。
「これを見捨てることは、日本の武士として最も愧(は)ずべきことだ。」
「武士として見殺しには出来ぬ」
「これは行長のためではない、わが日本国のために敢行する」
この言葉にほかの諸将も同意し、激戦の末、行長軍を救出しました。
◆秀吉への恩義に準じて西軍に就いた信義の人
(豊臣秀吉)
関ケ原の戦いのが起ころうとするときに、家康から恩賞を約束され、東軍に誘われていた宗重ですが、
「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」
といって家康の誘いを断ったといわれています。
◆家康も高く買っていた宗茂の器量
(徳川家康)
宗重の器量をよく知っていた家康は、隠居したのちに2代将軍・秀忠の側近として、浪人となっていた宗重を徳川家に召し抱えました。
◆大坂の陣で秀忠の軍師として大活躍した宗茂
大坂の陣で宗重は、豊臣方の軍勢の動きを見事にいい当てたり、秀頼が出陣しないことも予言し的中させています。
また実際の戦闘では、猛将といわれた毛利勝永(もうり かつなが)の軍を見事にやぶりました。
宗重は、秀忠の軍師としての役柄をりっばに果たしてにます。
(徳川秀忠)
ほかの武将たちは立花宗茂をどう見てたのか?
◆大友宗麟(かつての宗茂の主君)
「宗茂は義を重んじ、忠誠無二の者なので、ぜひ配下にお加えください」
※宗麟が秀吉に宗茂を推挙したときの言葉
◆豊臣秀吉
「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一」
※鎮西とは九州の事
◆加藤清正
「日本軍第一の勇将」
※朝鮮の役での言葉
立花宗茂の人柄、考え方はどうだったのか?
『名将言行録』では、宗茂のことを
「人となり温純寛厚。」
(人柄はおだやかで、すなおなで、心が広い)
「徳ありて驕らず。」
(謙虚にして驕らない)
「功ありて誇らず。」
(優れた功績があっても自慢しない)
「人を用ふる、己に由る。」
(人を用いるときは、他人の意見に流されずに自分で判断する)
「善に従ふ。流るるが如し。」
(善に基づき行動し、その振る舞いは自然で嫌味がない。)
「奸臣を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に撫するに恩を以てし、士を励ますに、義を以てす。」
(ゴマすり人間は遠ざけ、過度な贅沢はせず、民衆には優しく接っして、家臣たちには筋を通す。)
「故に士、皆之が用たるを楽しめり。」
(だから、家臣たちは喜んで宗茂に従った)
「其兵を用ふるや、奇正天性に出づ、故に攻めれば必ず取り、戦へば必ず勝てり」
(戦い方は、正攻法にも奇襲作戦にも優れていたから、攻めれば必ず攻略するし、戦えば必ず勝った。)
(※引用:名将言行録)
スポンサーリンク
やっぱり2022年の大河ドラマは立花宗茂がいいかな
宗茂は「武士の中の武士」と呼ばれいた。
ここまで調べると、宗茂は武将としてもそうですが、人間として素晴らしい人だったようです。
こんな人だったら、大河ドラマの主役になっても全然いように思えます。
やっぱり2002年の大河ドラマは宗茂で決まりでしょうか?
柳川市の人たちに頑張ってもらいたいものです。
大河ドラマの主役は立花宗茂だけじゃなかった
(誾千代)
宗茂にスポットを当てて調べてきましたが、大河の主役は一人ではありませんでした。
柳川市が、大河ドラマの主役を目指しているのは立花宗茂と妻・誾千代の二人です。
今回は、誾千代(ぎんちよ)さんのことは、あまり調べていません。
誾千代さんは、西国一の女丈夫と謳われる程、気性が激しかったようで、逸話もいろいろとあるようです。
ドラマの主役としてはぴったりの女性かもしれません。
ただ宗茂と誾千代は、夫婦仲が良くなかったという話があけます
それとは逆に、互いに尊敬し合っていたという話しがあります。
どちらが本当のことなのか正確なことはわかりません。
ですが、ドラマでは夫婦仲が良くなかったという設定にしたら、これまでとは違った大河ドラマが出来上がるかもしれませんね。
どちらにしても、二人のことについては機会があれば調べてみようかなと思います。
意見・要望・質問・感想などがありましたら、コメントして頂ければありがたいです。
では、また次回をお楽しみに。
参考文献:・柳川市公式ウェブサイト・Wikipedia・iRONNA・歴人マガジン・BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)・名将言行録
画像引用:・Wikipedia・大宰府観光協会
以下 コメント
真田家臣
tokumei@gmail.com
220.1.22.24
どう考えても「真田丸」以上の作品はもう出ない。
真田幸村のようにどん底に落ちた人がそこから這い上がり、最後に命を掛けるようなストーリーにしないと視聴率は上がらないだろう。
立花宗茂でもいいかもしれないが、ハッピーエンドじゃ人気が出ませんよってことだ。
できれば山中鹿之介だとか真田幸村と同等の感動を作り出せる武将を主人公にするべきだ。
せめて脚本は三谷幸喜氏にするべき。
後藤直己
gtosou@rainbow.plala.or.jp
60.135.183.206
その通りです。
後藤直己
gtosou@rainbow.plala.or.jp
60.135.183.206
立花家の縁につながる者です。戦国の世にこんなに痛快な生き様を見せてくれた武将は稀です。狡い生き方で口先だけの現在の政治屋の先生方に、誠実という意味をしらせしめるため、是非とも大河ドラマとして放送してほしい。因みに、立花氏が治めた柳川は、北原白秋・檀一雄を産み、オノ・ヨーコも縁有る土地柄と聞いてます。テーマ曲にはビートルズのレットイッビーをひとつ宜しく御願いします。
北島 正常
anc54684@nifty.com
116.80.39.247
立花宗茂は秀吉、そして徳川三代に信認された好漢、傑物です。海音寺潮五郎は宗茂を天才的な戦上手で、出所進退も実に清潔、最も尊敬すべき武将と称えています。誾千代との関係、朝鮮の役の扱いにくさはあるとしても、大河ドラマで評価されてしかるべき戦国武将です。改易からの復活などドラマチックな人生は多くの人に励みになることでしょう。この11月にも2022年度の大河ドラマが決定になるとか。地元・柳川では招致運動も行われ機運は最高潮、ぜひ実現することを祈念しております。
以上
コメント
真田家臣様へ
真田丸以上の大河はもうでないといいますが、あの作品は正直そこまで面白くなかった気がします。
信繁の文献がほとんど残ってない関係から創作が多すぎますし、合戦シーンも葵三代とかのが迫力あった。
感動って言うけど、死ねば感動するの?笑
浅はか過ぎますよ。w
立花宗茂は稀代の天才武将、義を貫き通し結果改易されるもののその人望や技量から見事復活を果たします。これ程の人生V字回復こそ感動的ですし、大河にはピッタリです。
最後にもう一度言います。
真田丸より素晴らしい作品は過去に沢山あります。あなたの主観なんてものは大したことないんですよ。
誾千代さんは、いわゆるツンデレっぽいかわいい女性だったのかもしれません。妄想ですいません。立花家は大友家の家臣ですが、家臣団の人気は立花道雪に集中していたので、謀反の心配もあったと思う。大友は「謀反しないというなら、娘を嫁によこせ」と詰め寄った。娘の誾千代は宗茂に密かに思いを寄せていて(幼少期に出会ってたかも)、「宗茂様の嫁になるために、幼いころから父上の厳しい教育にも耐えて従ったのに、大友家に嫁ぐくらいなら死にます」となり、困った道雪は、高橋家に嫡子の宗茂を婿に貰いたいとお願いしたんじゃないかな?と
結構前に読んだ宗茂の本で役とかも勝手に配役してイメージしながら読本してました。
立花道雪:渡辺謙さん(剃髪してたしカリスマ武将だから是非)高橋紹運:高橋英樹さん(岩屋での息子のために手前の城で奮戦する父役を演じられるカッコよさに期待)誾千代:ツンデレいけそうだし、渡辺謙さんの実娘の杏さん?・・・後年、杏さんと結婚された東出昌大さんに宗茂ありかも?