坂本龍馬を暗殺した京都見廻組ってなに?

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坂本龍馬といえば維新の英雄で、慶応3年11月15日(明治になる約10ヶ月前)に何者かによって暗殺されました。

この坂本龍馬暗殺の実行犯とされるのが、新選組とともに京都の治安を守っていた京都見廻組です。

 

今回は、その京都見廻組について調べてみました。

目次

坂本龍馬暗殺!元見廻組隊士・今井信郎の証言

坂本龍馬は盟友の中岡慎太郎とともに、1867年(慶応3年)11月15日京都河原町の近江屋で暗殺されました。

暗殺当時、実行犯は新選組だといううわさが流れ、それが信じられていました時期もあるようです。

 

しかし、1870年(明治3年)元見廻組隊士・今井信郎(いまいのぶお)の供述が決め手となり、見廻組実行犯説が有力なものとなりました。

今井信郎の証言によると、実行犯は佐々木只三郎(ささきたださぶろう)をリーダーとする京都見廻組の7名。

 

襲撃したのは3名で、佐々木只三郎、今井信郎ら4名は見張りを行っていたそうです。

のちに、今井自身も襲撃者の中に加わっていたと証言を変更しました。

 

龍馬暗殺の実行犯や黒幕については、いろいろな説が今でも出ています。

ですが、見回り組が実行犯であることは定説となりつつあるようです。

 

維新後、今井信郎はキリスト教に入信して農業を営み、その村の村議や村長などを歴任、77歳で他界しました。

 

京都見廻組はどんな組織だったのか

見廻組は1864年に、京都守護職の会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)の配下として結成されました。

(※京都守護職:京都の行政や治安を担っていた江戸幕府の役職)

 

見廻組の役目は新選組と同じで、京都の治安を守ること、つまり反幕府勢力を取り締まる警察活動です。

 

ただし、新選組の構成員には身分制限がないのに対し、見廻組は幕府の旗本・御家人による構成になっています。

また、受け持ち区域も、新選組が町人街や歓楽街を管轄していたのに対し、見回り組は御所や二条城周辺の主要区域を管轄していました。

 

新選組と見廻組では、役目は同じでも組織的には見廻組の方が上とみられていたようです。

 

大政奉還後、組織名が新遊撃隊に改称されましたが、すぐに見廻組に戻され戊辰戦争に参加しています。

その後、狙撃隊に改称され、1868,年(慶応4年)戊辰戦争で降伏して、見廻組はなくなりました。

京都見廻組の隊長・佐々木只三郎はどんな人物だったのか?

佐々木只三郎(ささき たださぶろう)は、1833年(天保4年)生まれで当時30歳前後の坂本龍馬世代です。

江戸幕府の旗本で、神道精武流を学び「小太刀日本一」と言われていたとのこと。

(※小太刀(こだち):脇差しなど約60センチ前後の短い刀)

 

あまり知られていませんが実は、只三郎は新選組を作った陰の立役者なのです。

 

清川八郎が浪士を率いて京都に行く際に、江戸で浪士を集めた中心人物の一人が只三郎です。

そして、近藤勇らのグループが京都に残留した際、彼らが会津藩の配下になれるよう取り計らったのも只三郎です。

 

その後、只三郎は江戸にもどり清川八郎がを暗殺しています。

 

1864年(元治元年)に見廻組を率い京都で活躍し、新選組とともに尊王攘夷派に恐れられていました。

 

「中肉中背のがっしりした体格、顔の色は浅黒く、笑うとエクボがあって、可愛らしい顔になった」

「至ってさっぱりとした、くちゃくちゃしたことの嫌いな淡泊な人で、一面非常に我慢強いところがあった。」

「また、頗る無頓着で、例えば、兄の家に来ても、その甥と姪が何人いるのかも、その名前がどういうのかも、そんなことすら知らず、寒いときでも単衣を平気で着ているような人だった。」

「ただ、心を止めるところは、勤め向き(仕事)のことと和歌のことであったと言われている」

(※引用元:佐々木只三郎高城 – 新選組百科事典)

 

このような只三郎の印象が、只三郎の姪の話として伝わっています。

 

1868年(慶応4年)1月12日、只三郎は鳥羽伏見の戦いに参戦し官軍の銃弾を受け、治療中の船上でなくなったそうです。

竜馬暗殺から約2カ月後のことです。

 

佐々木只三郎の辞世の句

『世はなべて うつろふ霜にときめきぬ こころづくしのしら菊のはな』

 

この句は、鳥羽伏見の戦いの最中に近所の酒屋に飛び込んで酒を飲み、お礼に襖に書きしるしたものだと伝えられています。

それぞれの信念と信義に命をかけた幕末の人たち

ドラマや映画では、幕府側の組織だった見廻組や新選組はあまりよくは描かれていません。

 

しかし、幕府側の人たちも討幕派の人たちも、それぞれに自分の信念と信義に命をかけた人たちだったのです。

 

明治維新という激動の時代に生まれ、自らの信念と信義に命をかけた先人たちに対し、後世に生きる私たちは、感謝と尊敬の念をもって見つめていきたいと感じました。

意見・要望・質問・感想などがありましたら、コメントして頂ければありがたいです。

では、また次回をお楽しみに。

 

参考文献:Wikipedia・コトバンク・佐々木只三郎という男・史跡訪問の日々
画像引用:Wikipedia・幕末ガイド

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