大切なのは未来ですか?過去ですか?未来へ目を向けるために

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あなたはこの画像を見てどう感じますか?

女の子のお茶会

この画像は、アメリカ人の女の子たちが日本のお茶会をまねしている風景です。

 

着物を着て、ちょっと変な白塗りのお化粧をして、学たち日本人が見ると違和感はありますが、とてもほほえましく感じます。

 

ですが、アメリカではこの画像を載せたプログが炎上しているそうです。

この画像に対して、「人種差別」「文化の盗用」などの批判が寄せられているというニュースを見ました。

 

私たちから見ると、この女の子たちが日本のまねをしてくれて、日本に興味をもってくれて、将来日本のことを好きになってくれたらいいなと感じます。

 

この画像の中に、人種差別や文化の盗用があるというのは、私たち日本人からするとちょっと信じられない話しですよね。

 

そのニュースを読むと、批判をしている人の中に日本人はいないそうです。

 

当の日本人が「ほほえましい」と感じているものを、日本人以外の人たちがわざわざ批判してプログを炎上させる。

 

彼らはいったい何のために批判をしているのでしょう?

 

目次

「原因論」と「目的論」で説明していたニュース記事

学が読んだニュース記事では、オーストラリア出身の心理学者アルフレッド・アドラーの「原因論」と「目的論」を使って説明していました。

アルフレート・アードラー

 

その中の「原因論」と「目的論」の解説を引用してみます

「原因論」とは、

『行動や感情は、過去の体験から生み出される』

行動や感情は自分のさじ加減で何とでもなる

なおアドラーは、「変えられない過去にとらわれているので無駄、価値がない」ってことで、「原因論」を完全否定。

 

「目的論」とは、

行動や感情は目的のために創りだされる

過去ではなく、未来へ目が向けられているので、『解決につながりやすい』というのが「目的論」の特徴。

つまり、「原因論」で考えると、過去にとらわれてグダグダと批判や文句しか出てこないのに対し、「目的論」で考えると、解決策向上策より良いアイデアが出てくる傾向が高い、ということ。

(※引用元:MAG2NEWS)

 

先の画像を批判している人たちは「原因論」の発想に近く、批判のための批判をしている印象が強い。

そういう情報には価値がないから「目的論」の考えに基づいて、自分たちの未来をより良い方向に持っていこうとしめています。

 

確かにこの考え方には賛成です。

過去の出来事をいかに批判しても問題は解決されず、将来へつながること少ないと思います。

 

過去にとらわれず将来に目を向けることで問題の解決につながり、新たなら未来が開けるのだと考えます。

 

ある物理学者が提案する問題解決への最善の方法

最近、日本でもそうですが自分たちの主義・主張のために事実を偏向したり、ねつ造したりしていることが多いような気がします。

 

意図的に敵を作って、その敵を徹底的に叩くやり方が、はびこっているような気がします。

 

ある物事に対して批判したり叩いたりすれば、留飲を下げることはできるでしょうが、批判するだけでは物事は何も解決しません。

 

先日、ある番組を見ていたら物理学者の先生が面白い発言をしていました。

それは、水俣市(みなまたし)と四日市市(よっかいちし)の話でした。

 

水俣市と四日市市は、日本の四大公害といわれるうちの2つ、水俣病と四日市ぜんそくが発生した地域です。

同じように公害で苦しんだ、公害の発生地域であった2つの市の現在の状態は、対照的と言えます。

 

現在の四日市は人口約31万人(公害発生当時約24万人)、三重県で最大の人口を擁し繁栄しています。

一方の水俣市は人口約2万5千人(公害発生当時約3万8千人)、残念ですが地域としては寂れているといっていいでしょ。

 

この違いはどこにあったのでしょうか?

 

ある物理学者の見解では、四日市市は問題解決に全力を注ぎ、水俣市は犯人を糾弾することに全力を注いだ結果ではないかということでした。

 

つまり、ある物事に対して批判したり叩いたりするだけでは、将来への展望が開けないけることです。

将来に向けて皆が力を合わせて問題を解決することが、一番大切なことだということです

 

ある物理学者の意見は、国も企業も当時の科学的知識も、すべてが未熟だったことが公害を引き起こした大きな要因だったという考え方。

 

四日市ぜんそくではその反省に立って、みんなが問題を解決するために力を合わせてきた結果が、今日の範囲をもたらしたということ。

その過程では、いろいろな障害や意見のくい違いがあったはずですが、それを乗り越えたということです

 

一方の水俣病では、いろいろな障害や意見のくい違いを克服することができず、問題解決ではなく犯人追及に力を注ぎすぎたのではないかということでした。

 

アドラーの考え方で言えば、四日市ぜんそくは未来に目を向けた「目的論」で解決を図り、水俣病は過去にとらわれた「目的論」で進んでしまったということでしょう。

 

その物理学者方は、犯人を糾弾するだけではなく、問題解決のために関係者全員が知恵を出し合うことが大切だと言いたいのではないかと思いました。

 

いまの日本でも同じようなことが起きてますよね

学たちの身のまわりでも、同じようなことが起きています。

 

●たとえば住民運動といいながら、その地域の住民ではないよその県の人たちが大勢の押し寄せて、反対運動をやっている。

●たとえば公正・中立といいながら自分たちの主義・主張に沿った内容しか報道しない。

●たとえばドキュメンタリーといいながら、ある偏った考え方へ視聴者をもっていこうとする番組。

●たとえば何十年も前のことばかり言い募って、お互いの信義にもとづく約束を反故にしようとする勢力。

 

例えればきりがありません。

 

「原因論」で原因を追及して社会正義を訴えることも必要かもしれませんが、そのために将来の繁栄をドブに捨てるのでは何のためにやっているのかわかりません。

 

やはり過去にとらわれるより将来に目を向け、関係者全員がそのために知恵を出し合い、問題を解決することで将来の繁栄が期待できる。

 

そんな問題の解決のしかたが、一番望まれるのではないでしょうか。

 

意見・要望・質問・感想などがありましたら、コメントして頂ければありがたいです。

では、また次回をお楽しみに。

 

参考文献:MAG2NEWS・babble
画像引用:babble

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