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もともと、マナブは時代劇が好きなんですが「たそがれ清兵衛」は最高レベルの時代劇映画の一つです。
あっ!時代劇が好きと言っても、隠居のおじいさんが、お供をつれて日本中を旅して、悪いやつらを懲らしめるような勧善懲悪ものではありません。
藤沢周平や山本周五郎に代表される、人情時代劇と言われるジャンルが好きなのです。
今回紹介する時代劇映画の「たそがれ清兵衛」は、藤沢周平の短編小説が原作ですから、マナブの好みに合ったのでしょう。
今回の記事は、時代劇映画「たそがれ清兵衛」のあらすじと感想です。
あらすじを区切って、区切り毎にマナブの感想をつけています。
つけているのは感想で解説ではありません。
(解説と呼べるようなものではありませんから)
感想はいらないよって人は、感想の部分は飛ばして読んでくださいね。
目次
◆時代劇映画「たそがれ清兵衛」あらすじ
●プロローグ
明治の終わり、一人の女性が人力車に乗ってお墓参りをする映像が流れます。
そして、その女性の声で彼女の父親の話しが語られていきます。
●「たそがれ」というあだ名
時代は幕末、場所は庄内地方(現在の山形県)の海坂藩(うなさかはん:架空の藩)。
海坂藩の下級藩士・井口清兵衛(いぐちせいべい)は、数年前に病気で妻を亡くし、今は老母と二人の娘の四人で暮らしています。
亡くした妻の薬代で借金をし、その返済に追われる清兵衛の暮らしは貧しく、内職をする毎日です。
そのため、仕事が終わる黄昏時(たそがれどき:夕暮れ時)には、同僚の誘いも断りそそくさと家に帰っていきます。
同僚たちは、そんな彼をいつしか「たそがれ清兵衛」と呼ぶようになりました。
▼感想
清兵衛は、月代(さかやき:額ぎわを丸く剃った部分)は伸びて服装もみすぼらしく、いかにも貧乏生活をしているという感じが出ていました。
でも、あまりにみすぼらしいので、周りの人物と少し違和感はあり過ぎたように思いましたね。
あらすじには書いていませんが、清兵衛の着ているものが臭くて殿様に注意されるシーンがあります。
清兵衛の今の生活が、いかに貧しいかということを強調させたかったのかもしれませんが、やり過ぎのように感じました。
●朋江との再会
清兵衛は親友・飯沼倫之丞から、彼の妹の朋江(ともえ)が離婚して実家に戻ってきていると聞かされます。
清兵衛と朋江は、幼い頃よく遊んでいた間柄でした。
ある日、清兵衛が家に戻ると朋江が遊びに来ていた。
幼いころの思い出話しなどをしながら、楽しそうに娘たちと過ごす朋江を見て、清兵衛は幼いころの淡い恋心を思い出す。
▼感想
朋江は清兵衛とは対照的に、とても綺麗で清潔感がある女性として描かれています。
朋江がそこに居るだけで、周りが明るくなるような素敵な女性です。
そんな朋江に、清兵衛が恋心を持つのは当然だなと納得させれますね。
●朋江の別れた夫との果たし合い
二人が再開した夜、朋江の実家の飯沼家では別れた夫の甲田が酒に酔って暴れていた。
甲田は朋江と無理やり離婚させられたことを根にもっていたのだ。
朋江を送ってきた清兵衛は、暴れる甲田を止めようとして、甲田と果し合いをすることになってしまう。
翌日の果し合いで清兵衛は、木刀の小太刀(小刀:脇差し)で簡単に甲田をたおした。
じつは清兵衛は、小太刀では免許皆伝の腕前立ったのだ。
この果し合いの噂は城内にひろがり、清兵衛の剣の腕前も知られることになる。
▼感想
甲田との果たし合いで、清兵衛が剣の達人だということがわかります。
そして、あらすじには書いていませんが、果し合いの後、のちに死闘を繰り広げる相手から、立ち合ってみたいと言われています。
このへんは、のちの死闘を盛り上げるための伏線だったのでしょうね。
●親友・飯沼からの申し出
朋江が清兵衛の家に通いながら、家の事や娘たちの世話をする穏やかで楽しい日々が続いていた。
そんなある日、飯沼は清兵衛に朋江を嫁に貰ってくれないかという申し出る。
しかし、清兵衛はその申し出を断ってしまう。
清兵衛の亡くなった妻は、貧しい暮らしを恨みながら死んでいった。
朋江に、そんな貧しい暮らしの苦しさを味あわせたくないと思い、清兵衛は申し出を断ったのだ。
それから朋江は、清兵衛の家には通わなくなった。
▼感想
妻と暮らしていた頃の清兵衛の家庭は、とても幸せといえるような家庭ではありませんでした。
亡き妻は清兵衛の家よりも、裕福な家から嫁いできていました。
最初はやさしかった妻の心がすさんでいった原因は、貧貧乏生活です。
そして病気になり、薬代にも困るような貧しい暮らしを恨みながら死んでいったのです、
幼なじみとは言え朋江の実家は上級藩士の家で、朋江は裕福な家で育ち、暮らしてきています。
朋江は、本当の貧乏の苦しさも知らないと清兵衛は思っています。
そんな朋江が、亡くなった妻のように貧乏生活で心がすさむのを清兵衛は見たくなかった。
清兵衛の心の優しさが、朋江との縁談を断らせたのですね。
●藩命
そんな清兵衛の暮らしのかたわらで、海坂藩では世継ぎをめぐる争いが起こっていて、それがようやく決着した。
世継ぎ争いに負けた側の藩士たちは、次々と粛清されていく。
しかしその中で、剣の使い手といわれている余吾善右衛門(よごぜんえもん)だけは反発していた。
余吾は切腹を命じられていたが、自分を捕まえにきた相手を殺して、屋敷に立てこもっていたのだ。
藩の家老は、清兵衛の剣の腕前に目をつけ、余吾を捕まえる任務を命じる。
しかし、余吾を捕まえに行けば死闘となり、自分が殺されるかも知れないと分かっている清兵衛は、その役目を断ろうとする。
家老は、そんな清兵衛に対して『藩命である』と断ることを許さなかった。
▼感想
清兵衛が余吾を捕まえにいって、逆に斬り殺されてしまえば、あとに残された老母と娘二人は生活が出来なくなってしまいます。
また、死闘となれば剣士・清兵衛となって、相手を斬り殺さなければいけません。
しかし、病気の妻と老いた母と幼い娘二人を抱えていた清兵衛は、若いころの夢であった剣士・清兵衛をとっくに捨てていたのです。
必死で断ろうとする清兵衛に『藩命』という重い言葉がのしかかります。
武士にとって藩命は、すべてに優先する絶対的命令なのです。
あらすじには書いていませんが、藩命を受けて家に帰った清兵衛が刀を研ぐシーンがあります。
このとき清兵衛は、刀を研ぎながら何を考えていたのかジーンとくる場面でした。
●清兵衛の想い
翌朝、一人では身支度ができない清兵衛は、朋江に自宅に来てもらい身支度の手伝いをしてもらう。
身支度ができて、出かける時刻が迫った清兵衛は「果し合いに勝ったら嫁に来てほしい」と朋江に結婚を申し込む。
しかし以前、兄の申し出を断られていた朋江には、すでに他の縁談が決まっていた。
朋江は縁談が決まっているから「自分はここで清兵衛様の帰りは待てない」と申し出を断ります。
それを聞いた清兵衛は「今の話しは忘れてください」と言って、余吾との死闘の場に出かけて行く。
▼感想
この場面で朋江が、なぜ清兵衛が行かなければいけないのかと質問するシーンがあります。
清兵衛は自分も武士だから藩命には逆らえないと答えています。
絶対的圧力を拒めない社会人の姿が、そこにあるような気がしました。
もう戻ってこれないかもしれない最後の場面で、朋江に結婚を申し出る清兵衛。
すでに縁談が決まっていたため、その申し出を断る朋江。
二人の気持ちの揺れ動きが、とてもよく伝わってきて素晴らしいシーンでした。
●余吾との死闘
余吾の家の中に入った清兵衛は、憔悴し切った余吾に身の上話しを聞かされる。
余吾の話しを聞きながら余吾を逃がしてもいいと思い始めた清兵衛だったが、清兵衛の一言で事態はがらりと変わった。
清兵衛は妻の葬儀費用を捻出するために、刀(大刀)を売ってしまっていて、竹光を差していたのだ。
余吾は竹光で捕まえにきた清兵衛に怒りだし、「小太刀(脇差し)で戦うつもりだった」と言う清兵衛に「小手先の剣法で、わしを殺すつもりだったのか」と言って斬りかかってきた。
いくつかの傷を負いながらも、壮絶な死闘ののち清兵衛は余吾を討ち果たす。
▼感想
余吾との死闘のシーンですが、実はこのシーンはあまり好きではありません。
どうもマナブには長すぎました。
余吾の身の上話しも長かったですし、死闘のシーンも長かったです。
斬りあいの立ち回りもマナブの好みではありませんでした。
この余吾との死闘のシーンは、時代劇映画「たそがれ清兵衛」のクライマックスだと思います。
しかし、マナブ的には
・朋江に身支度の手伝ってもらう
・自分も武士だからと、藩命には逆らえない清兵衛
・清兵衛が結婚を申し出て、朋江が断わる
・朋江が「ご武運を」と言って、帰って来ないかもしれない清兵衛を送り出す
この清兵衛と朋江のシーンが、クライマックスでした。
映画の受け止め方は人それぞれですから、余吾とのシーンの評価は、あなたが見て決めて下さい。
●朋江の想い
片腕をつり、片足を引きずりながら、傷だらけで家に戻った清兵衛を出迎えたのは、愛する二人の娘と朋江だった。
朋江は清兵衛の帰りを待っていてくれたのだった。
▼感想
傷ついた体で家に帰り、玄関先で出迎えてくれた次女を抱き上げる清兵衛。
「帰って来た~」と家の中に飛び込む長女。
そして家の中から出てくる朋江。
もういないと思っていた朋江の姿を見て驚く清兵衛。
もう生きて帰っては来ないかもしれないと思っていた清兵衛が、無事に帰ってきて涙ぐむる朋江。
観ている学も、朋江が待っていたのには驚かされました。
とてもジーンとくる場面でした。
朋江はいったん実家に戻って、縁談を断ってきたのかな?
それとも、清兵衛が出て行ってからずっとこの家にいたのかな?
これから、この二人について、いろんな噂が飛び交うのではないのかな。
このシーンを見ながら、そんなことが気になっていました。
●エピローグ
場面は、清兵衛と朋江のお墓の前に戻ります。
また、女性(清兵衛の次女・以登(いと))の声で、その後の清兵衛と朋江の話しが語られます。
清兵衛と朋江は結婚して、3年あまり幸せな時を過ごしていましたが、戊辰戦争で清兵衛は戦死します。
朋江は、清兵衛が残していった二人の娘を連れて東京に出て、娘たちを東京の大学を出すまで立派に育てました。
最後は、娘の以登が清兵衛の想いを語り、物語は終わります。
「たそがれ清兵衛は不運な男だったとおっしゃるのをよく聞きましたが、私はそんな風には思いません。」
(中略)
「私たち娘を愛し、美しい朋江さんに愛され、充足した思いで短い人生を過ごしたに違いありません。」
「そんな父のことを私は誇りに思っております」
(※引用元:Wikipedia)
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◆まとめ
清兵衛が戦死せずに、維新後まで生きていたならば、彼はたぶん農民になっていたのではないでしょうか。
家族のために剣への夢を捨てた清兵衛にとって、武士への未練はなかったと思います。
逆に、武士ということで藩命に逆らえなかった清兵衛ですから。
それにたしか、映画の中でも武士を捨てて農民にないたいようなことを言っていたような記憶もあります。
この映画は、
・清兵衛と朋江の恋愛
・圧力でやりたくもなくことをやらなければいけない不条理
・「分を知る」ということ
がテーマとして描かれていると考えています。
恋愛と不条理は分かりやすく描かれていますから、今さら説明する必要はないでしょう。
「分を知る」というテーマについて少し話します。
「分を知る」とは、その人にふさわしい行動をとるということです。
「分をわきまえる」「身の丈を知る」「身の程を知る」などという言い方もしますね。
「分を知る」は、映画「たそがれ清兵衛」と藤沢周平の文学の大きなテーマだとマナブは思っています。
その意味で、以登が語った清兵衛の想い
「私たち娘を愛し、美しい朋江さんに愛され、充足した思いで短い人生を過ごしたに違いありません。」
という言葉に、清兵衛が「分を知る」男だったことが表れています。
◆時代劇映画「たそがれ清兵衛」の豆知識
監督 :山田洋次
出演者:真田広之(清兵衛)、宮沢りえ(朋江)、岸惠子(語り・以登(晩年))
主題歌:井上陽水「決められたリズム」
原作 :藤沢周平「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」
公開 :2002年
興行収入:16億円
・第26回日本アカデミー賞(2002年度)、助演女優賞を除く全ての部門で最優秀賞を獲得。
・2003年(第76回)アカデミー賞、外国語映画賞にノミネート。
・山田洋次監督が藤沢周平の小説を映画化した時代劇三部作の一つ、他は『隠し剣/鬼の爪』『武士の一分』
◆最後に
ここに書いた感想は、マナブ個人の勝手な感想です。
制作者の意図などは、全く分かっていませんから、おかしな内容があっても見逃して下さい。
また、記憶をたよりに感想を書いていますので、内容が間違っている部分もあるかもしれません。
その点も見逃して下さいね。
ここまで読んでくれたあなたは、まだこの「たそがれ清兵衛」を見ていないと思います。
最初に書いたように、この「たそがれ清兵衛」は最高レベルの時代劇映画ですから、あなたにはぜひ観て欲しいです。
あなた自身の目で観て、「たそがれ清兵衛」という時代劇映画を味わってください。
意見・要望・質問・感想などがありましたら、コメントして頂ければありがたいです。
では、また次回!
参考文献:・Wikipedia・「たそがれ清兵衛」・「竹光始末」・「祝い人助八」
画像引用:・amazon・Yahoo!映画
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